


| 1967年 長崎県展入選 |
| 1972・73年 二科展入選 |
| 1975年 金沢美術工芸大学油絵専攻卒業 |
| 1975年 伊藤忠ファッションシステムInc.入社 |
| 1982年~ ニューヨーク駐在(5年間) |
| 2011年 元町トアギャラリー個展 |
| 2012年 国際インパクトアートフェスティバル(京都市美術館) |
| RED DOT MIAMI(マイアミ USA) |
| 神戸波止場町TEN×TEN常設展示 |
| 2013年 IACK2013(京都ギャラリーマロニエ |
| ART MONACO(モナコ) |
| RED DOT MIAMI(マイアミ USA) |
| 国際インパクトアートフェスティバル(京都市美術館) |
| 2014年 IACK2014(京都ギャラリー マロニエ |
| 国際インパクトアートフェスティバル(京都市美術館) |
| 2015年 ART SHOW BUSAN 2015(韓国 釜山 ) |
| 神戸波止場町TEN×TEN 土間ホール個展 |
| 国際インパクトアートフェスティバル(京都美術館) |
| IACK2015(京都ギャラリーマロニエ) |
| 引き続き IACK2016 2017 2018 2019 出展 |
| 2017年 長崎県美術館 県民ギャラリー個展「命の風景」 |
田頭 邦昭 Kuniaki Tagashira
| の大事な故郷であることからむしろ安らかな景色に変わり自然と湧き出る鎮魂の思いで描くようになりました。 |
| そのような被爆直後の原爆投下地跡という特殊な環境で育った者の記憶の深層らか湧き出た光景を描いた |
| ”命の風景”をご高覧、ご批評いただければ幸いです。被爆の実体験はないので当時のカメラマン 林 重男氏 |
| 山端 康介氏などの記録写真を参考にさせていただき、すこしでも現実をイメージできるような表現に心掛けました。 |
| 私は爆心地すぐ近くの長崎市平和町(旧山里町)で生まれ育ちました。 |
| 私が生まれたのは戦後5年目ですが、当時舗装されていない道や空き地 |
| には表面が解けた瓦が散乱し、近くには被爆した(浦上教会、長崎医学 |
| 部の校舎など)の廃墟が残っており、友達と遊び回っていました。私は |
| 被爆体験をしていませんが、父親や従兄にまたいろんな方からその時の |
| 状況を直に聞いてきました。私は高校生になって絵をこころざし、美術大 |
| 学に進み、長崎を離れて暮らすようになりましたが、故郷への思いととも |
| に自然と原爆をテーマにした絵を描くようになりました。爆心地の風景は |
| 悲惨な事実が起こった場所にも関わらず、幼少期よりそれで過ごしてき |
| た私にとってそれは原風景となり、なぜか悲惨で怖いとは思えず、自分 |